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願證寺は松阪市を築き上げた「蒲生氏郷」との深い所縁があり、今も松阪市と共に歩み続けている寺であります。毎年たくさんの方々に訪れて頂いており、一人でも多くの方が、ご縁「仏縁」に出逢っていただけることを心から願っております。
様々な人々との出逢い、時間との出逢い、物との出逢い、教えとの出逢い、そして、何より1番のお育ては、尊い自分自身に出逢うことができるでしょう。
いつどこで出逢うか分からない不思議な縁。こうした様々な[出逢い]が、私たちにとって、かけがえのない人生の宝となるのです。限りある命をより豊かにするヒントがここにあるのかも知れません。
【寺伝】願證寺は本願寺第八世蓮如上人の息男(9男)蓮淳によって伊勢国桑名郡長島町香取郷杉江に創建された。
元亀元年(1570年)よりこの地方に一向一揆が起こり、天正2年(1574年)に織田信長によって鎮圧された。この時、近江国日野地方の領主であった蒲生氏郷も出陣しており、願證寺住職を自領内に伴って帰り、一寺を与えて再興させた。
その後天正12年(1584年)、蒲生氏郷は伊勢「松ヶ島」へ移封され、天正16年(1588年)さらに「城」を「松阪」に築き、入城。城下町をつくると、氏郷の招きに応じて願證寺は近江日野より伊勢松阪に移住した。
※現在の松阪市日野町は近江商人(滋賀県日野町)によって町づくりの中へ位置づけられた。正徳5年(1715年)頃には、浄土真宗高田派に転じている。
【寺宝】
・本尊 阿弥陀如来立像(木像)
寺伝によると、蓮如上人から蓮淳に一寺創設の時に授けられた。慈覚大師作で氏郷公の念持仏とも伝えられている。
・親鸞聖人画像(紅葉の御影)
寺伝によると、上記「阿弥陀如来立像」と共に蓮如から蓮淳に授けられたと伝えている。
また、この絵図の裏書に正徳5年専修寺 第17世 円猷上人花押が認められるところから、高田派へ転派した時期がうかがわれる。
【付記】
歴史・寺宝については当山十四世住職蒲生感隆の作成「願證寺略縁起」と松阪・日野の「蒲生氏郷」についての記録を基に記している。